トーテムポール大辞典
トーテムポールとは、北米太平洋北西海岸の一部の先住民族が、主にシダーの巨木へ人物、動物、超自然的存在などを彫刻して制作する記念柱の総称です。家系の歴史、祖先、名称、権利、出来事、物語などを表し、家屋柱、正面柱、記念柱、墓棺柱、歓迎柱、恥辱柱など、複数の種類があります。
一般に想像される「神像」や偶像崇拝の対象とは限りません。彫られた図像の意味、上から下への順番、色彩、建立方法は、ネーション、家系、作者、時代、作品の目的によって異なります。本ページでは、公式資料で確認できる内容と、現地の彫刻家・文化関係者から聞いた説明を分けながら、トーテムポールの意味、種類、見方、歴史、制作工程、有名な作品を詳しく紹介します。
トーテムポールとは?
トーテムポールは、北米の太平洋北西海岸、現在のアラスカ南東部、カナダのブリティッシュコロンビア州、米国ワシントン州周辺の一部の先住民族が制作してきた大型の木彫記念柱です。主にウェスタン・レッド・シダーやイエロー・シダーなどの巨木が使われます。
柱には、人間、祖先、ワタリガラス、イーグル、クマ、シャチ、ビーバー、カエル、サンダーバード、シシウトルなどが彫られます。これらは単なる飾りや一般的な性格診断ではなく、家系、名称、権利、土地、出来事、物語、超自然的な体験などと結び付く場合があります。
トーテムポールは、文字の代わりに物語を上から順番に読めばすべて理解できる「絵文字の本」でもありません。柱を正しく説明するには、誰が制作したか、どのネーションのものか、誰のために建てたか、どの家系がどの図像を使用する権利を持つか、建立時に何が語られたかを知る必要があります。
また、トーテムポールは一般に神そのものを表す偶像ではありません。祈りや儀礼と関係する柱はありますが、仏像や神像と同じ意味で崇拝されるとは限りません。むしろ、家系の記録、記念碑、表札、墓標、家屋の構造、歓迎の像、公的な声明など、複数の役割を持つ文化的モニュメントとして理解する方が適切です。
太平洋北西海岸は、サケ、ニシン、貝類、海獣、シダーなどの豊かな資源に恵まれ、大規模な定住社会、広域交易、複雑な家系制度と儀礼を支えました。その結果として、大型の住居、カヌー、箱、仮面、織物、記念柱など、高度な芸術と木工技術が発達しました。現地で説明を受けると「食料に恵まれたことで、大型作品を作るための人員と時間を確保できた」と語られることがあります。これは単に「暇だったから芸術を作った」という意味ではなく、資源管理、家系の権利、専門職人、贈与制度、儀礼が一体となった社会基盤があったということです。
30秒で分かるトーテムポール
- 北米太平洋北西海岸の一部の先住民族が作る大型木彫柱です。
- すべての北米先住民族が作るものではありません。
- 家系、祖先、権利、出来事、物語などを記念・公示する場合があります。
- 家屋柱、記念柱、墓棺柱、歓迎柱、恥辱柱など複数の種類があります。
- 一番上が必ず最重要、下が必ず劣るという決まりはありません。
- 図像の意味はネーション、家系、作者、作品によって異なります。
- 建立時には歌、演説、贈与、ポトラッチなどが行われる場合があります。
トーテムポールの種類
日本語ではすべて「トーテムポール」と呼ばれますが、実際には家屋に付属する柱と、屋外に独立して立つ柱があり、目的も異なります。以下は代表的な分類です。名称や機能は地域とネーションによって異なります。


家屋正面柱・入口柱
家の正面へ組み込まれ、家系の図像を示す柱です。柱の下部に入口が開けられ、人が彫刻の中を通って入る形式もあります。
記念柱
亡くなった人物、世襲名称の継承、家系の出来事、重要な歴史などを記念する柱です。
墓標柱・墓棺柱
亡くなった人物を記念し、墓所を示す柱です。上部や背面へ遺骨を収めた箱が置かれる形式もあります。
歓迎柱
海岸、川岸、村や施設の入口に立ち、訪問者を迎える人物像や柱です。
恥辱柱
未払いの負債、不正、約束違反などを公に示し、相手へ解決を求める柱です。
現代の記念柱
現代では、和解、学校の歴史、文化復興、環境問題などを表す新しい柱も制作されています。
トーテムポールの見方
トーテムポールを見たとき、多くの方が最初に知りたいのは、「一番上が最も偉いのか」「上から物語を読むのか」「動物にはどんな意味があるのか」という点です。結論から言えば、すべての柱に共通する単一の読み方はありません。
一番上の図像が、柱全体を印象付ける主要な存在、家系の紋章、物語の重要人物として置かれる例はあります。現地の彫刻家や案内人からも、「上部を見ると、その柱の中心となる家系や存在が分かることがある」と説明されます。しかし、最上部が必ず所有者のクランを示す、最下部が必ず所有者本人を示す、という絶対的な規則ではありません。
柱の下部には、建物の入口、地面から現れる人物、巨大なクマやツォノクワなど、構造上も物語上も重要な存在が置かれることがあります。下だから地位が低いという意味ではありません。
ハイダなどでは、ワタリガラスとイーグルの半族制度や、各家系が使用するクレストが知られています。例えばワタリガラス、イーグル、クマ、シャチ、ビーバー、カエル、月などが、特定の家系の歴史と権利に結び付く場合があります。
リング状の彫刻
人物の帽子の上に円筒状のリングが積み重なった表現は、potlatch rings、chiefly ringsなどと説明されることがあります。現地では「開催したポトラッチの回数や地位を表す」と説明される例があります。ただし、リングの数と開催回数が常に一対一で対応するとは限らず、地位、富、特権、物語などを表す場合もあります。
地域・ネーションによる形と色の違い
北部のスタイル
ハイダ、トリンギット、ツィムシアン、ニスガなどの作品では、明確なフォームライン、均整の取れた構成、赤・黒・青緑などを使う作品が多く知られています。「北部は必ず二色だけ」とする説明は正確ではありません。
中央・南部のスタイル
クワクワカワクゥの作品では、深い彫り、強い立体感、サンダーバード、ツォノクワ、シシウトル、シャチなどの超自然的存在、赤・黒・青緑・白・黄などを使う作品が知られています。
現地の彫刻家から聞いた色彩の説明
トリンギットの彫刻家から直接聞いた説明では、黒は主要な形を作るフォームライン、赤は口、舌、手足、内部要素、青緑は彫り込まれた部分などに使うという伝統的な考え方があるとのことでした。また、赤と黒の接し方にも一定の考え方があると教えられました。
これは価値のある現地の説明ですが、すべての作品、すべての時代、すべての作者へ適用できる絶対規則ではありません。
トーテムポールの起源・衰退・復興
起源と古い柱が残りにくい理由
トーテムポールの起源を正確な年代で示すことは困難です。シダーは屋外で長い年月をかけて腐朽するため、非常に古い柱が残りにくく、現在確認できる柱だけで起源を決めることはできません。大型木造住居の柱、墓標、家系の図像、木彫技術などが発展し、独立した大型記念柱へ展開したと考えられます。
19世紀の大型化
18世紀後半以降、鉄工具が広まり、木を削る作業が効率化しました。海上毛皮交易などによって新しい富が流入し、ポトラッチや記念柱を通じて地位と権利を示す機会が増え、19世紀に大型で複雑な柱が数多く建てられました。
感染症と植民地政策
天然痘など外来感染症によって、多くの沿岸共同体の人口が壊滅的に減少しました。さらに政府と宣教師による同化政策、ポトラッチ禁止、寄宿学校、儀礼用品の没収によって、文化継承は大きな損害を受けました。
現代の文化復興
20世紀中頃以降、Mungo Martin、Ellen Neel、Bill Reid、Doug Cranmer、Henry Huntなど、多くの先住民アーティストが彫刻、教育、復元制作を通じて文化を再活性化しました。現代の柱は、祖先と家系だけでなく、植民地化、寄宿学校、和解、土地と海の管理、環境問題などを表すこともあります。
倒れた柱は修復しないのか
現地では、柱が朽ちて倒れ、森へ返ることを自然な寿命として受け入れる考え方が語られることがあります。一方で、すべての柱を放置するわけではありません。共同体、所有者、文化機関は、保存、補強、屋内移設、複製制作、再建立などを選択します。
トーテムポール建立とポトラッチ
重要な柱の建立は、単に完成した彫刻を地面へ立てる作業ではありません。家系、彫刻家、共同体、招待客が参加し、歌、演説、名称の公表、権利の確認、食事、贈り物などが行われる大きな出来事です。
伝統的な建立では、柱を地面に寝かせ、ロープを付け、多くの人々が協力して引き起こします。長い支え棒で押し上げ、柱の根元を穴へ導き、垂直に立てます。現代ではクレーンを使う場合もあります。
現地では「柱へ息を吹きかける」「柱に生命を与える」といった説明を聞くことがあります。具体的なプロトコルはネーション、家系、建立目的によって異なります。
財産の分配や破壊は本当にあったのか
歴史資料には、主催者が大量の財産を分配し、ときに銅板など価値ある財産を壊すことで、自らの富と地位を示した記録があります。捕虜・奴隷制度が存在した時代には、人間が財産として扱われた記録もあります。ただし、ポトラッチを「相手を破産させる浪費競争」とだけ説明すると本質を失います。贈与は富を共同体へ再分配し、名称、婚姻、相続、土地や儀礼上の権利を公に承認する役割を持ちました。
日本の上棟式との共通点
日本の上棟式とトーテムポール建立は、起源も制度も異なる文化です。しかし、多くの人が柱を立て、完成を祝い、主催者が参加者へ食事や贈り物を振る舞い、共同体が出来事の証人となる点には、理解を助ける類似性があります。
トーテムポールを作り、建てるまで









カナダBC州の有名なトーテムポール
SG̱ang Gwaay(スカン・グアイ)

ハイダ・グワイ南部のSG̱ang Gwaayは、19世紀のハイダの村落跡で、住居跡、記念柱、墓棺柱が残る世界的に重要な文化遺産です。旧資料ではNinstints、Anthony Islandと呼ばれることがあります。
柱は風雨、菌類、苔、植物によってゆっくりと朽ち、森へ戻っています。SG̱ang Gwaayは1981年に世界遺産へ登録されました。訪問には管理方針と立入ルールに従う必要があります。
スタンレーパーク・ブロックトンポイント
バンクーバーのスタンレーパークには、複数のネーションとアーティストによる柱が展示されています。現在展示される柱の多くは複製または比較的新しい作品です。古い原柱は保存のため博物館へ移されたものがあり、貸与終了や文化的返還により展示内容が変わることもあります。
OSCAR MALTIPI POLE
Kwakwaka’wakwの彫刻家Oscar Maltipiが1968年に制作した柱です。
BEAVER CREST POLE
Nisga’aの彫刻家Norman Taitが家族の彫刻家たちと制作し、イーグル、ワタリガラス、ビーバーに関する家系の物語を表します。
CHIEF WAKAS POLE
Alert Bayに建てられたWakas家の正面柱を基に、Doug Cranmerが制作した作品です。
SKY CHIEF POLE
Nuu-chah-nulthのアーティストTim Paulらが制作し、祖先への敬意と歴史を表す柱です。
KAKASO’LAS
Kwakwaka’wakwの女性彫刻家Ellen Neelの重要作品です。長年スタンレーパークで展示され、2024年にUBC Museum of Anthropologyへ移されました。
GA’AKSTALAS
Russell Smithのデザインを基にWayne AlfredとBeau Dickが彫刻し、Kwakwaka’wakwの複数の物語を表しています。
CHIEF SKEDANS MORTUARY POLE
HaidaのSkedansに建てられた墓棺柱を基にBill Reidらが制作した複製です。
日本にあるトーテムポール
日本で知られる本格的な例の一つが、愛知県犬山市の野外民族博物館リトルワールドにあるトリンギットの家と家屋正面柱です。柱は建物正面に立ち、下部が入口を兼ねるHouse Frontal Poleの形式を示します。
旧資料によると、彫刻家Earl MuldoeとPhilip Janzeが日本で制作に関わったとされています。高さは約9.2メートルと紹介されています。
日本の学校、公園、姉妹都市施設などにも「トーテムポール」と呼ばれる柱があります。ただし、先住民アーティストが家系の権利と物語に基づいて制作した柱と、日本で自由制作されたトーテムポール風の木彫作品は区別する必要があります。
よくある質問
トーテムポールは何のために作るのですか?
家系の歴史、祖先、名称、権利、人物、出来事などを記念・公示するために作られます。
トーテムポールは神様ですか?
一般に柱そのものを神として崇拝するものではありません。祖先、超自然的存在、家系の権利、儀礼と関係する場合はあります。
一番上が一番偉いのですか?
必ずしもそうではありません。上部へ主要な図像を置く例はありますが、下部にも重要な存在が置かれます。
リングの数はポトラッチの回数ですか?
そのように説明される例がありますが、すべての柱で一対一に対応する絶対的規則ではありません。
すべての北米先住民族が作りますか?
いいえ。主に太平洋北西海岸の一部の先住民族が制作してきた文化です。
なぜ腐ったまま残すのですか?
柱が自然に朽ちて土地へ戻ることを受け入れる考え方があります。一方で保存、補強、屋内移設、複製を選ぶ共同体もあります。
主な参考資料
・UBC Indigenous Foundations「Totem Poles」「Cedar」
・UNESCO World Heritage Centre「SGang Gwaay」
・Parks Canada「SG̱ang Gwaay」
・City of Vancouver「First Nations art and totem poles – Stanley Park」
・U’mista Cultural Society「Potlatch Means To Give」「Potlatch Ban」
最終更新:2026年7月
