ファーストネーションズとは | 北西海岸インディアンの分布図 | 代表的な部族と特徴 | 代表的な作品と特徴 | 社会構造 | 漁業と狩猟の技術 | 捕鯨の技術 | 戦闘について | 丸太カヌー | 木工細工 | カヌーの種類 | 住居 | 衣類 | 信仰と儀式 | ポトラッチと呼ばれる行為 | シンボルの意味 | トーテムポール大辞典 | ドリームキャッチャー 

 

トーテムポール大辞典

 

 
トーテムポールっていったいなんだろう?あの小学校の校庭の片隅にひっそりと立っている奴・・・そういやあの町の公共施設でも見掛けたなぁ・・・でも、こうしてよく見てみると、なんだか不思議な魅力を感じる…。ここでは、そんなトーテムポールの不思議を 

誰でも簡単にわかるように説明しています。

 

 トーテムポールって何だ?

  トーテムポールは、もともと北西海岸インディアンだけが作る彫刻の柱のことです。そこにはトーテム(紋章)シンボルとして動物や神話に登場する人物が刻まれています。 

トーテムポールは先祖から伝わる神話や伝説、戦い、婚姻 や 葬式 などその家の歴史などを、氏族との関係が深い動物や人の形に象徴的に表して、柱に刻んだ「家紋」 みたいなものです。

深い意味になると「祖霊」に関するものであり、過去・現在・未来の人間・社会・動植物・自然環境がすべて組み込まれている精神的なものとして象徴されています。

しかし、北西海岸インディアンのトーテムポールは仏像のような偶像ではなく、崇拝の対象物ではありませんでした。 他の環太平洋文化圏の一帯には同じような巨木・巨像信仰(ハワイポリネシア文化の神様ティキやインドネシアの守り神ガルーダ、沖縄のシーサー、マヤ文明のワンダ、イースター島のモアイ像、マオリ族のトーテムポール)とはちょっと違っているようです。

食料などの物質に恵まれて、暇と余裕をもてあまし、芸術をこよなく愛した部族ですから、「アート」としての感覚もかなり強かったのかもしれませんね。

 

 トーテムポールの種類

  トーテムポールと一言で言っても、いろいろな種類やいろんな意味があります。家柱や家屋柱となった「付属柱」 

記念柱や墓標柱、墓棺柱、招待者像柱、領域柱、辱しめ(見せしめ)柱といった「独立柱」の2つに大きく分類します。


家屋柱、入り口柱
House frontal Pole
Entrance Pole

家の正面にはめ込んである家屋柱は家を支える大黒柱であり、表札である。時には「入口柱」として家の中に入る入り口にもなっていて、これをくぐることで、清らかな体で家に入れます。

家柱
House Post

家の中に建てる「家柱」は、 木造住居の室内の四隅近くにそれぞれ一本ずつ立っていて家の梁を支える重要な柱でした。 位の高い族長の家には、奥の台座に2つセットで置かれ、家族の歴史を表す紋章を刻みました。

記念柱
Memorial Poles

何かを記念して作られた記念柱は、 族長になったことを記念したり、子供が成人する時や結婚などのおめでたい儀式を記念して建てられていました。また戦争などに勝利した記念に村全体で建てる事もありましたし、氏族の偉大な夢、先見力を表現するためにも建てられました。なかには横型の動物の模型のような記念像もあります。

墓標柱 Grave Pole
墓棺柱 Mortuary Poles

「死」を弔い、故人を記念する柱。 部族の有力者が亡くなった際には、その後継者が先代への敬意を表するためにトーテムポールを作らせることもありました。墓地に立てる「墓標柱」は単なる墓標ではなく、その遺体を美しく装飾したベントウッドボックスに収め、トーテムポールの上部に納めて魂の再生を願った墓棺柱になっている場合もありました。 単柱式、双柱式と2パターンあります。

招待者像柱
Welcome pole

川岸・海岸などに向けて村の入り口にそびえる招待者像はウェルカムポールと呼ばれ客人を迎える町の入り口として機能していました。

領域柱 Territory pole

またウェルカムポールとは逆に、ここが部族の支配地域だと主張する領域柱というのもありました。

辱しめ(見せしめ)柱
Shame Pole

例えば「あの男は、我々に対して、こんな理不尽なことをやったと告発するぞ、謝罪することを要求する」といった意思表明のポールです。請求先の家の前に建てて辱めるわけです。恐ろしいですね~。恥ずかしいですね~。

他にも細かくは沢山あるでしょう。

 

 トーテムポールの見方


トーテムポールにはたくさんの動物や人の形が彫られています。ぱっと見はみんな同じに見えてしまうんだけど、と言う方も是非このトーテムポールの見方を参考にして欲しいと思います。まず、ほとんどの場合、トーテムポールの一番上に彫刻してあるものが、その一族を見分ける象徴であり、氏族の由来のシンボルになります。例えば、クワキウトル族の場合、一番上で大きな羽根を広げているのはサンダーバードです。サンダーバードはクワキウトル族の神話上において、すべての精霊の中でもっとも高貴なスピリット(魂)のあるものとされています。トーテムポールに刻まれたリングの数は、ポールの所有者がこれまで開いたポトラッチの回数を表しています。たいていポールの上の方にあります。人型がある場合はその人型の中にリングを彫ってあることが多いです。またポールの所有者の家系の動物はポールの一番下に刻まれているのです。また彫られている動物も、あてずっぽうではありません。 

例えばハイダ族には氏族の下に「ワタリガラス族」と「ワシ族」という半族制度があります。またその下にも、それぞれ別の紋章を持っています。たとえばハイダ族のワタリガラス族に伝承されているクレスト紋章には、シャチや灰色熊、月、ワタリガラスなどがありますし、ワシ族の家系では、ワシ、ビーバー、カエルなどいくつかのクレスト紋章が伝わっています。

なんだか「俺はハイダ県ワタリガラス郡シャチ村の誰々だ」という住所みたいですね。

この住所を参考にして同族結婚を忌んだりする目安ともなっていたのです。

 

 部族によるトーテムポールの違い

  トーテムポールを見るとたいていの場合、形や色から部族を特定できます。 

北部のトーテムポール 

ハイダ族、トリンギット族の北部族は、あまり伝統的な原色のみを使い、彫りが深く力強いのが特徴です。デザインがとにかく大きくて大胆だったりします。

ハイダ族のトーテムポールは特に原始的で、赤、黒の色しか使いません。これはハイダグアイが島国だったためペンキを入手するのが遅かったためかと思われます。トリンギット族のトーテムポールは黒色、赤色、青緑色(ターコイスブルー)が3原色です。

キース ウルフ スマーチと言うトリンギット族の彫刻学校の先生に聞いたところ、北部のルールでは黒と赤の色は彫っていない場所につける色で、黒はその形を作る部分(フォームライン)で赤は内臓や唇、手足にしか使ってはいけないとのことでした。そして赤と黒は決してくっついてはいけないらしいです。 青は唯一、彫った部分に塗ってもいい色だと聞いています。

南部のトーテムポール 

南に行くにつれ、ディテールが細かくなり、彩色がほどこされ、垢抜けたイメージになっていきます。特に代表的なのがクワキウトル族ですね。赤・黒、青、緑、黄、橙、白、白などのカラフルな色使い。そして登場する動物もサンダーバード、コラス、ツォノクワ、シシトル、太陽、シャチなどなど。またハント一族など大物彫り師が多く、大作も沢山残っています。

色に関してまとめると ハイダ、ニスガなどの原色は赤・黒の2色、トリンキットは赤・黒・緑、セイリッシュとティムシャンは赤・黒・青、そしてクワキクトル族は赤・黒、青、緑、黄、橙、白などを使います。当時、赤、黒以外のペンキは、ヨーロッパ人との交易が多かった南の部族が早くから取り入れたようです。このようなルールですので配色に関しては縛りがゆるく、今では色もスタイルもアーティストの個性を出す為に、ある程度は何でもありらしいです。

トーテムポールを作る民族

・トリンギット族 Tlingit
・ハイダ族 Haida
・ニスカ族 Nisga’a
・ツィムシャン族 Tsimsian
・ギトクサン族 Gitxan
・ハイスラ族 Haisla
・ヘイルツ-ク族 Heiltsuk
・ベラベラ族 Bella Bella
・ニューホーク族 Nuxalk
・ベラクーラ族 Bella Coola
・クワキウトル族 kwakwakawakw
・コーストセイリッシュ族 Coastal Salish
・スコーミッシュ族 Squamish
・ヌートカ族 Nootka (Nuu-Chah-Nulth)

 

 トーテムポールの語源

  これには2つの説があります。 オジブア族では、同じ祖先を崇拝する「血族」とされるもの達を「オトテマン:Ototeman」と読んでいたのですが、これが18世紀末に「トータム:Totam」という トーテミズム、すなわちトーテム崇拝と同じ表現で、ヨーロッパ学会に紹介され、それらが彫り込まれたモニュメントが「トーテムポール:Totem Pole」と名付けられたという説が有力です。前述しましたが、トーテムポールは崇拝対象ではなく住所的な表札=家紋であることから、「同じ血縁グループ」を意味する「ドーデム」に由来している、もう一つの説が正解なのかもしれません。

 トーテムポールの起源と運命

  トーテムポールの起源については、色々と議論されていますが、謎に包まれています。有力な説としては、ナース川の沿岸周辺に始まったといわれる説や、大きな木製の住居「ブランクハウス」の柱に使っていたものに装飾したものが、トーテムポールの始まりではないかという説もあります。またトーテムポールがいつごろからあったかも明確ではありません。なぜならば、ポールに使われるシダー類が北西海岸の温帯雨林で育つもので腐食しやすく18世紀より古いものが残っていないためです。 

トーテムポールは修復や保全をせずに、自然のまま、朽ち果てて、土に返り、そこから栄養をもらった新たに芽生えた木々たちが森を再生し始める・・・それが先住民たちの世界観なのです。実際に30-40年もすると、苔むし始め、そのうち鳥が落とした木の実が頂上で生育し始め、トーテムポールの頭から木が生えてきます。 そしてトーテムポールの100年後は、土に返ってしまうでしょう。

また新しく建てられたトーテムポールでも、何かの拍子で倒れてしまったら、それが運命であり、傷ついたとしてもそれは宿命であるから、倒れたものを起き上がらせることはないし、傷ついたものを修復することもありません。そのままにしておきます。道路にまたがって倒れたり、皆が困ればそりゃ直しますが…。

ヨーロッパ人との三角貿易によって富が先住民の村にもたらされるようになった族長たちは、その力を誇示するために、競うように、より高く、より複雑な彫刻のトーテムポール建てました。この頃 1860 年代半ばにトーテムポール建立のピークを迎えました。しかしその後、病気による人口急減とカナダ政府の改宗計画に伴い、急速にトーテムポールの文化は衰退しましたが、近年、 文化を守ることの大切さが見直され、人々の関心も強まり、様々な目的で多くの新しいポールが作られるようになっっていき、活動も活発に行われています。

それでも彼らからすれば最近建てられる、鉄とコンクリート基礎で支えられたポールや、裏側をくりぬいて軽くした彫刻物、博物館に飾られているトーテムポールもすべて本来の霊的な力は失っているといいます。

 

 トーテムポール建立とポトラッチ

  インディアンが重要なトーテムポールを建てる際には、必ず「ポトラッチ」という儀式が行われていました。ポトラッチは北太平洋沿岸地域のインディアン独特の儀式でチヌーク語で「贈与」の意です。酋長などの主催者は、重要なトーテムポールを建てる際には、まず他の地域の部族の高位高官にポールを建てるぞという使者を送ります。その間、主催者側ではPole Raising(建立のことをこう呼びます)の準備とともに、盛大な祝賀会が準備されます。招待された外部族の高官達は自分のお付の者を従えて歓迎のウェルカムポールを通りやってきます。彼らがやってこないとポールレイジングがはじまりません。なぜならば彼らはトーテムポールの建立を認める証に、ポールレイジングを手助けに来たのです。 

トーテムポールは主催者の息吹を吹きかけて魂を入れた後は、主催者以外の同じ血族の者と外部族の手により建立の場所まで運んでもらい、建立してもらうのです。その間、一切手を触れてはいけません。4本のロープを引っ張りバランスをとりながら、空に向かって一気に垂直に上がったトーテムポールを見ると、一気に歓声が上がり、皆で手をとり、喜びます。トーテムポールが認められたということなのです。

建立後、主催者よりポールの命名のご挨拶があり、トーテムポールを建てた経緯や一族に伝わる伝説などを語り、いよいよ 盛大なポトラッチという祝賀会へ招待するのです。ポトラッチでは、食べきれないほどの食事を振る舞い、歌や踊り、村にある秘密結社のダンスサークルによる余興がありと、まさに歌えや踊れの最高に楽しい乱舞だったと思います(個人的に)。そして更なる威厳を見せようとする主催者の首長は、自分の持っている一番のお宝を海に捨てたり、こなごなに破壊したり、持っている奴隷を殺して見せたりしました(すごいですねぇ)。宴もお開きとなりましたら、さてさてゲストの全ての方に贈り物(ゲストランク相当)をして帰ってもらうのです。主にカヌーだとか銅板、毛皮、織物、奴隷、装飾品、彫り皿、ロウソクウオの油などが贈られていたようです。現代では掃除機に、電子レンジに、洗濯機って…、これ本当の話ですよっ。

これにより、トーテムポールを建てるという晴れ舞台を終えた首長は、地域一帯でいっきに名声が高まりました。しかし同時に破産しない程度にそれ以外の富財をすべて投げ打ってしまい、燃え尽きたようです。。

ですからよほど有力な族長でもない限り、そもそもポトラッチなどそうそう開けないもので、ポトラッチの開催回数は、その族長の力を示します。

トーテムポールに特にリングを刻んだものがありますが、そのリングの数は、ポトラッチを行った回数を示しています。

数が多いほどBIGな奴なんです!

 

 トーテムポールを建てるまで

  トーテムポールを作っている写真と、建立の写真を紹介します。 

良質のシダーを選定し丸く削ります。 大まかに削ります。最近はチェーンソーなどの機械工具が便利です。 細部は手で整えます。彼はランドン・ガンです。
だんだんと細部まで削って整えたらペイントします。 いよいよポールレイジングの日です。人々が運びます。 木の棒で支えながら片方ではロープを引っ張り、ゆっくりと起こします。
ここでは皆で押せ押せですね。 ようやく立たせることができました さぁお祝いだ!歌やダンスで盛り上がります。

 

 カナダBC州の有名なトーテムポール達

   アンソニー島のトーテムポールについて 一番有名なのはクイーンシャーロット島(ハイダグアイ)の南端、アンソニー島のトーテムポールでしょう。クイーン・シャーロット諸島は150以上の島々からなっていて、その最南端にあるアンソニー島には先住民族(ハイダ族)が残した巨大な朽ちかけたトーテムポールがユネスコ世界遺産として1981年に登録されています。  

朽ち果てたトーテムポール

クイーンシャーロット諸島(大小3000以上の島からなる群島)は、カナダ西海岸の北端、アラスカとの国境に近い沖合にあります。1万年前まで続いた北米最後の氷河期にも、この島の大部分は氷の上に出ていたと考えられていて、この島だけに生息する動植物も多く、「北のガラパゴス諸島」とも言われています。鮭をはじめとする豊かな魚介類、海流の関係で温暖な気候、温帯雨林の深い森と、今も非常に恵まれた自然環境の島です。

しかし、19世紀以降、ヨーロッパからやって来た白人が持ち込んだ天然痘に免疫も持たなかったハイダの人々は次々と死んでしまい、人口が絶滅寸前にまで激減させられました。

そのため、放棄されてしまった村落跡が幾つもあり、そこに朽ちかけたトーテムポールが静かに海を見つめ、巨大な杉の木で作られた家の梁などが深い苔に覆われて静かに今も残され、自然に帰るのをじっと待っています。

現在、ハイダグワイの集落はSkidegateとMassetの2つだけになり、捨てられた村のなかで、今でもトーテムポールが数多く残る南端のニンステンツNinstintsのアンソニー島(Anthony島=SkangGwaiiスカングワイ)は1981年に世界文化遺産に登録されていて、保護のため、立ち入りは厳しく制限されており、上陸には事前の申請が必要となります。

写真家の星野道夫さんも、この島に大自然とトーテムポールに魅了され、数多くの写真を残しております。

 

 
 スタンレーパークのトーテムポールについて  

皆さんがバンクーバーを旅行した際に、必ずって言っていいほど訪れるスタンレーパークにも代表的なトーテムポールが展示されています。

 

クワキウトル族 OSCAR MALTIPI POLE 

先住民の中では血族ごとに独自のストーリーを語り継いでいる。それらの話は歌になったり、ダンスになったり、トーテムポールに表現されます。このトーテムポールはロイヤルB.C.博物館の所属のアーティスト兼講師であるHenry Huntの弟子のKwakwaka’wakw族のOscar Maltipiが1968年に彫ったポールで1987年にTurnour島から移築しました。

クワキウトル族 BEAVER CREST POLE 

1987年ニスガ族のノーマン・テイトが、 息子イサック、弟ロバート、甥ロン・テレックとともに彫ったものです。このトーテムポールは鷲族のノーマン・テイトの血族がどのようにビーバー血族と融合したのか、またどのようにして鷲とワタリガラスが出会い、空をシェアしたのかが表現されています。

ある日、5人の兄弟が祝宴のためにビーバーの毛皮を狩りに出かけた。一番下の兄弟が若いビーバーを見つけ巣穴まで後を追った。そこで彼はビーバーが人間に姿を帰るのを目撃し、、尚且つ彼らのチーフの死や破壊について語りだしたを聞いたのです。 彼は村に帰り、ビーバーが歌ったり、踊ったり、見たもの全てを報告しました。そして兄弟達は、祝宴でビーバーのダンスを披露し、BIG BEAVERと呼ばれるトーテムポールを建てました。
鷲とワタリガラスの物語は又の機会に…

クワキウトル族 CHIEF WAKAS POLE 

Kwakwaka’wakw族のセレモニーで、酋長の代わりにスピーチする者はトーキングスティックという杖を持ちます。このトーテムポールは酋長WAKAS家に伝わるOwikenoという物語とトーキングスティックを表現しています。もともとのオリジナルはアラートベイのWAKAS家の前に1890年に建てられたものである。ワタリガラスのクチバシの部分は開かれていて家へのエントランスとなっていました。このトーテムポールはWAKAS家の紋章を継承したDoug Cranmerが1987年に新しく製作しました。

クワキウトル族 SKY CHIEF POLE 

1988年にHesquiatアーテイストのティム・ポールとDitidahtアーティストのトンプソンが、ヌートカ族(NUU-CHAH-NULTH)の歴史をトーテムポールに表現しました。ティムポール曰く、先祖を敬う祖霊的な儀式と伝統のアートを学ぶことは、現在自分たちがここに存在することの再確認にも繋がるものと信じている。

クワキウトル族 KAKASO’LAS 

Kwakwaka’wakw族のエレン・ニールと叔父のモンゴ・マーティンは、博物館や市やコレクターから依頼を受けて製作して、広くトーテムポール文化を世に知らしめた最初の芸術家の一人でした。またエレン・ニールは北西沿岸インディアンの中で初の女性彫刻師でした。これは1955年にデパートの依頼で建てられたものです。

  THUNDERBIRD HOUSE POST 

ハウスポストは通常、先住民の伝統的な家屋の屋根や梁を支えるために使われました。このポールは1900年代初頭にKwakwaka’wakwアーティスト、チャーリー・ジェームズによって作られた物のレプリカで、トニーハントが1987年に彫刻しました。この作品の大胆な色づかいと彫刻技術は息子のマンゴ・マーチンや孫娘のエレン・ニールの世代のアーティストに多大な影響を及ぼしました。ポールは現在、ニールの隣に立っています。

クワキウトル族 Ga’akstalas 

Ga’akstalasはベースデザインをラッセル・スミスが担当し、ウェイン・アルフレッドとビュー・ディックが彫刻して1991年に建てられました。このポールはKwakwaka’wakw族における文化の大切な物語をたくさん描いています。赤いシダーの皮の男は、大きな洪水を生き残り、人々に最初のカヌーを与えた先祖です。シャチに乗っている英雄のSiwidiは海世界のチーフの家へ海の下で連れて行かれ、全ての海の王国の紋章を使用する権利を持ってもとの世界へ帰されました。大女dzunukwaは、奇跡と富を人々にもたらすという彼女の重要な役割を象徴して、柱の基礎で座っています。

クワキウトル族 CHIEF SKEDANS MORTUARY POLE 

このトーテムポールは、SkidegateのHaida族の村に1870年に建てられた物のオルダー木のバージョンです。これはSkedans族のワタリガラス酋長に対し敬意を表したもので酋長代々の紋章を彫っています。熊の耳の中のごく小さな人形は酋長の娘と息子である。ハイダ族を代表するアーティストBILL REIDが1964年にアシスタントのワーナー・ツゥルーとともに彫ったものである。一番上の酋長の紋章である月はDon Yeomansが1998年に取り付けた。長方形のボードの中には酋長の遺骨がおさめられています。

そのほかにもBC州、ビクトリアVictoriaやダンカンDuncanなどにも有名なトーテムポールが数多くあります。

 

 日本にあるトーテムポール

  http://kuchikomi.gnavi.co.jp/diary/1267465505/image/f5003bc9f4.jpeg 犬山のリトルワールド ハウスフロンタルポール が一番有名ですね。トリンギット族の家を移築した物で、その家の真正面ド真ん中に立ってるハウスフロンタルポールですね。出入り口も兼ねている様ですが、実際には出入り出来なくしてあって、中へは横から出入りします。建物は、ケチカンのトーテムバイト公園のハウスの設計図を使い、アラスカHANESにあるインディアン工芸研究所に依頼して制作したもので、材料を日本まで運び、 彫刻家のアール・マルドウ氏が弟子フィリップ・ジンジャーとともに日本で現地製作したものです。 高さ9.2m 

《アール・マルドウのポール》 上から、3つのリング、オルカ、太陽、ワタリガラス。 オルカの上部に人間が見えているのは、海の怪物にさらわれた妻をシャチの背中に乗って捜しに行く夫、下に見えている顔がおそらく妻で怪物の腹を割いて妻を救い出す物語だといいます。
犬山リトルワールド(愛知県)HP
http://www.littleworld.jp/

 トーテムポールまとめ

  一般的な方がトーテムポールを一番わかりやすく理解しようと思ったら、日本人=日本文化と照らし合わせてみたらよいのです。なぜならばトーテムは時に一族の記念碑であり、墓であり、表札であり、家系図でありますからすべて日本にもあるものですし、同じくすべて祖霊的なものですよね。ポールレイジンク(建立)はいわゆる建前であります。建前とは家の基礎ができたら 1日かけて、家の骨組みを作っていき、無事に上棟しましたら、喜びお祝いし、施主が職人さんをおもてなしすることだそうです。 昔は、お餅をまいたり、お菓子をまいたりお酒 ビール を振舞ったり、近所の人におすそ分けしてますでしょ。まったく同じなんです。 

僕たち日本人はモンゴロイドですが。その中でも海洋モンゴロイドです。世界のほかに海洋モンゴロイドで分類すると北西海岸インディアンしかほとんどいません。世界地図を太平洋の真ん中にして2つに折ると、あらぴったり。結局、元のDNAもほぼ同じ、住んでいる緯度や気候など日本とそんなに変わらず、暮らしていた地域の差があるだけなのです。ちなみに彼らは顔も日本人と同じようです。

たぶん同じモンゴロイドとして、ある一定の進化を解けた日本人の兄弟であると思うんですね。彼らもときどき言うんですよね「俺たちの祖先は日本人だったのかもしれない」って。

そう思うと、同じ血族という親しみが持てるんですね!

トーテムポール大辞典 楽しんでいただけましたでしょうか?